『僕はゲームが好きだ』と言えるようになったお話
たまに思うことがある、自分はゲームが本当に好きなんだろうかと。そんなようなことを書きたくなった。
1. 僕が見る僕はゲームが好きなのか
自分が何かを対象に好きかどうかなんてのは主観的な判断でしかない。自分が好きと思うのであれば『好き』、逆に嫌いであれば『嫌い』、ただそれだけのこと。それだけのことで良いはずなのに、大小はあれど人間ってのは他人と比較しないではいられない生き物だと個人的には思っていて、少なくとも僕はその中の一人。
ネットを覗くと色々なゲーマーの方々がいて、自分には無いものを持っている人が本当にたくさんいます。逆に自分には誇れるようなものがなくて、そんなことを思う内『自分はゲームが本当に好きなんだろうか』と考えることが増えました。
2. 他人が見る僕はゲームが好きなのか
疑念を抱いた理由はいくつかありますが、一番は『〇〇シリーズは全てプレイしている!愛してやまない!』というような強いこだわりや愛が自分にはないことです。例を出すと、『ファイナルファンタジーのナンバリングは全てプレイ済』とか『軌跡シリーズは一式所持している』など。
自分の場合は全くそういうゲーム愛が無く、唯一ナンバリングを通して(全てではないけれど)遊んできたDance Dance Revolutionでさえ家庭用は10年以上リリースされていないことから今は遊ぶこともないし、なんならソフトは断捨離するタイミングで全て売ってしまった。
少し話は逸れますが、現在は発売スケジュールを見て翌週~1ヶ月後くらいの購入ソフトを検討するスタイル。新作発表時に購入意欲は高まるけれど、いざ発売されるタイミングまで遊びたい気持ちを持続できている自信がないので予約することはほとんどないです。特典が付いている限定版を購入することもないし、サントラも買わない。開発元へのこだわりもなく、トロフィー集めは基本的に時間のかからないソフトばかり。そんな僕は他人から見ても本当のゲーム好きではないのかもしれません。
3. その一言に救われた
Twitterで知り合ったM君がいます。M君とは偶然にも地元が一緒で、リアルで会うことはなくともTwitter上で仲良くさせてもらっていました。M君のツイートはいつもゲームへの愛で溢れていて、僕にはないキラキラしたものを持っていた。
M君とSNSで絡むようになって一年以上経過し、ある日急に通話のお誘いを頂きました。あとから聞くと通話ブームがきているとか。僕は友人達と映画を見に行く最中で、『鑑賞後で良ければ』とだけ伝え映画館へ向かいます。
映画鑑賞を終え、友人達と解散後にさっそく通話開始。人と話すことに慣れていないので正直めちゃくちゃ緊張してた。最初はお互いの挨拶から始まり、すぐにゲームの話で盛り上がった。M君は通話でもやっぱりキラキラしていて、言葉というよりも声の温度で伝わるものがありました。
M君は話題を振ることが得意ではないらしく(全くそうは思わなかったけれど笑)、事前にトークテーマをいくつか用意してくれていました。テーマに沿って順に話をしていたのだけれど、その中で『期待している新作はあるか』という話題に。
前章で述べた通り、発表から発売日まで高ぶる気持ちを持続させる自信がなく、人に語るほど愛してやまないタイトルを持ち合わせているわけでもない僕は、正直にその旨を伝えました。『え?!君のゲーム愛はそんなもんなの?!』みたいに思われてしまいそうで怖かったけれど。
するとM君は『色んなゲームを満遍なく楽しめるんだね!ブロガー向きだ!』と言ってくれました。僕は僕自身のことをそういう視点で捉えたことがなかったので、まさに青天の霹靂です。
M君のたったその一言が今まで気にしていた自分のコンプレックスを取り払ってくれたような、そんな気がしました。広く浅くの自分はどこかまわりとの温度差を感じていたけれど、それが自分のゲームスタイルだということに気づくことができたのです。
僕は恐らくこれからも自分のスタイルを変えず、こだわりを持たず、ゲーム愛を語らず、コレクションせず、トロフィー集めに没頭することもなく、雑食系として色んなゲームを少しずつ楽しんでいこうと思います。それが噓偽りのない自分のゲームスタイルだから。
そして今なら胸を張って言えます。『僕はゲームが好きだ』と。